2018
○日時:3月28日(水曜日) 10時30分~13時
○場所:マイントピア~東平~マイントピア
○ガイド:山下
○参加者:8人
急に暖かくなり、桜もビックリしたかのように一気に満開になった所もありますね。
マイントピア別子(端出場)はまだ満開ではありませんでしたが、ウグイスがかわいらしく鳴く練習をしていました。
春を待ちわびたように、東平エリアのツアーバスも満席となり、ガイドの山下さんの喉慣らしも始まりました
端出場大橋を出てすぐ、赤レンガ造りの旧水力発電所がありますが、戦火を逃れるために塗ったタールの跡が見えました。
内部には操業当初からの貴重な発電機や水車が残っていて、近々見学できるようになるそうです。
子供の頃から憧れていたこの西洋館に入れるとはとても楽しみです!
清龍橋(ループ橋)を渡り、鹿森ダムの横を通り過ぎると、大雨の後だけ現れる清滝がひょろっと流れていました。
(そう言えば、マイントピア別子で‘流しそうめん’が始まるそうです!)
仲持像(登山道入り口)を過ぎると、東平へ向けて急カーブの連続する道に入りました。
バスはキィーキィー音を立てながら険しい山道をドンドン上がり、社宅跡の石垣があちこちに出現してきました。
出発から25分程で標高約750mの東平に到着!
ここが「東洋のマチュピチュ」! 絶景です!
1916年から14年間、銅山の採鉱本部が置かれ、最盛期には5000人余りもの人が住み賑わっていた天空の町!
天にそびえる巨大な花崗岩造りの貯鉱庫跡、索道基地跡! まさに断崖絶壁! (サスペンスにも使われ、新居浜市出身の水樹奈々さんもPVを撮りました。)
インクライン跡の220段の階段を降り、下から見上げるとその石積みはまた壮大!
貯鉱庫の鉱石は、選鉱場で素石と鉱石に分け、下の2番目の貯鉱庫に移す時、平地に落差をつけた横持エネルギーを使ったそうです。
索道基地から索道を利用して鉱石を下ろす時も、その鉱石の重さを使い生活物資や資材などを荷揚げしていました。
動力を使わず色んな工夫が施されていた事になるほど!と感心しました。
資料館では、ジオラマや模型、写真などの展示物を見て、少しだけ当時の生活を想像できました。また施設の裏には、
鉱山鉄道のトンネルや、かご電車が残されていました。トンネルの上にはプールがあったとか…タイムスリップして見てみたいです!
帰りのバスでは、山下ガイドは絶好調になり私の頭は追いつかなくなりましたが、銅山を支えた4人の先人は忘れないで欲しいと。
広瀬宰平、伊庭貞剛、鈴木馬左也、鷲尾勘解治の功績がなければ今の工業都市新居浜は考えられないと。
別子銅山は、新居浜の原点でもあるとしみじみ彼らの恩を感じました。
採鉱本部や接待館など木造建築物は、閉坑の時に壊してしまい、今は石垣とレンガだけが残る無人の森。
ですが、今も昔も変わらず同じ自然を味わえる…
接待館に宿泊した土井晩翠(詩人)の歌
~東平の 山ふところに 石楠の
花ながめつつ 鶯をきく~
シャクナゲが咲く頃、上手に鳴けるようになったウグイスの声を聞きにまた訪ねてみようかな♪
(阿部)
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